サンクト国際文化フォーラム報告 2016


◆2016年12月1日から3日間、ロシア・サンクトペテルブルクで開催されたサーカス・フォーラムに参加・報告した。今回はサーカスセクションと、ジャグリングセクションに分かれていて、私が報告したのは、ジャグリングセクションの方。ロスゴスツィルクやボリショイサーカスなど、旧ソ連圏のサーカス界の要人や、各国の著名なジャグラーなどが参加する力の入った文化フォーラムで、様々な参加者との交流に花が咲いた。

一昨年に参加したロシアのサンクトペテルブルグで開催される国際文化フォーラムサーカス分科会、第5回目となる今年のフーラムに参加してきた。各国のサーカスの要人たちが集まったフォーラムは今回も大変興味深い内容だった。今回もこのフォーラムの報告をしたい。

 前回参加した時の様子はこちらをご覧ください。

この国際文化フォーラムは今回2つのセクションから構成されている。 第1セクションは、各国のサーカス団の団長を中心にしたもので、サーカス産業をテーマにした討議・講演が中心となっている。第2セクションは、ジャグリングをテーマに、講演やワークショップを中心としたもの。

12月1日(木)

自分は最初間違って第1セクションに知り合いが多かったために、そちらに出席。ロスゴスツィルクのイワノフ新総裁とモスクワボリショイサーカス団長のザパーシヌィ、サハサーカスのセルゲイ・ラストルギェエフ、イスラエルの「ドラド」サーカスのヌシンスキイ総裁が出席。ザパーシヌィの報告の途中、呼ばれてジャグリングセクションに参加。

最初のパルーニンの「なぜジャグリングなのか」という開会の挨拶は聞けず。アメリカ在住のドミニク・ジャンドゥの「ジャグリング芸術とその歴史的パースペクティブ」の報告の途中から参加。このあとに同じテーマでイリーナ・セレズニェーバ-レジェルが報告。彼女は最近「チニゼリサーカス」という大きな本を出版したという紹介があった。話の中でチニゼリサーカスに日本人のアーティストがたくさん仕事をしていたというエピソードも。彼女にはいろいろ教えてもらいたいことがありそうなので、講演後に挨拶。少し休憩があり、いかにして「ジャグラーになったのか」という報告がソ連時代に有名なジャグラーとして知られるビリャウエールから話があった。話の間流れていた彼の練習場所となっていたのが、洞爺湖のサンパレスホテルのロビーだったのがおかしかった。あとでその話をすると本間興業の仕事だったという。  夕方からサンクト郊外にあるウプサラサーカスに移動。ここは2008年に創立されたストリートチルドレンたちのためのサーカス団。

ウプサラサーカス

ここで最初はダウン症の子供たちと一緒にジャグリングを楽しむという。「障害をもった子供たちがいかにしてジャグリングをするか」がここの支配人であるラリサ・アファナシェーバの指導のもと行われる。最初はちょっと危険なのではとも思ったのだが、ビニール袋を使ってジャグリングをする。ここの子供たちはそこそこジャグリングができている。あとで指導者のひとりがジャグリングは一番子供たちが集中してやるのでいいと言っていた。 このあと今回のオーガナイザーのひとりフリッシュが、子供たちを相手にしたワークショップ「空飛ぶオレンジ」。最初は子供たちに果物や野菜を自由にとらせてジャグリングをさせるもの。競技形式にして最後に残ったものにプレゼントをあげるというもの。このあと皆を坐らせ、なぜか私が餌に使われ、フリッシュと私が二年前の「スノーショー」の時偶然あったことや、私がサーカスについての本を書いているということなどを紹介、そのあとトイレットペーパーをつかったギャグをみんなに披露するということになったが、私はこのネタを知っているよと言ったら、チェンジされる。  その後「ウプサラサーカス」でメンバーによるショーを見学。この公演には「サーカス産業セクション」に参加していた代表団も多数集まる。とにかくテントの雰囲気が最高。二人による生演奏からはじまる。7人のメンバーによるショー。派手な芸はないのだが、なぜかさわやか。この感じはどこかでいつか感じたもの、そうそう「沢入サーカス学校の発表会」の時に感じるものと同じさわやかさである。 公演後ピローグとワインで交流会。いま到着したばかりのジェローム・トマやサハのセルゲイもジャグリングを披露するという楽しい夕べになった。なぜかウプサラサーカスのスタッフさんに自分はすっかり人気ものになってしまって、あちこちからお呼びがかかった。

ジェローム・トマ

ホテルに戻り、サハのセルゲイの部屋で明日発表することになっているワレンチン・グニェーショフと今日発表をしたジャグラーのビリャウエールとで、サハのウォッカとレナで採れた魚モキウムを肴に一杯。この魚が絶品だった。サハサーカスのクラウンとして活躍するセルゲイの姪っこのファクーラがかいがいしく世話をしてくれる。ウォッカがなくなったところで、下に行き、今回のコーディネイターのナターシャとアシスタントのマーシャを交え、バーでまたウォッカを飲み直す。

左からラストルギェエフ氏、グニェーショフ氏、ビリャウエール氏、筆者

12月2日(金)

会場に行くバスの中で、カザフ国立サーカスの新しい総裁やモンゴルサーカスの総裁たちと名刺を交換。みんな「サーカス産業」セクションなのだが、こちらはかなりの豪華メンバーだ。モンゴルサーカスのディレクターは二年間日本で日本語を勉強していたというので日本語がうまい。カザフのディレクターはかなりがたいが大きいのでパーチかなんかしていたのかと思っていたら、オペラ歌手で前はオペラ劇場の支配人をしていたというので大笑い。 今日のジャグリングセクションはなかなか濃い内容になっている。 まずはグニェーショフが演出したジャグリング作品の名作「ピエロ」をピモネンコが実演。予定ではこのあとグニェーショフの講演があるのだが、どうやらまだ会場にきていないらしい。そこでこういうときはいつも頼りになるフリッシュがグニェーショフの演出について解説。このあとセルゲイ・イグナートフが自分のビデオを見せながら解説。その中には1988年の日本公演の映像も。このとき彼は11個のリングのジャグリングに成功している。この日本公演のことはよく覚えている。そのときの印象ではイグナートフは見かけはストイックな感じがしていたのだが、冗談も交えかなりの饒舌家だった。アメリカ公演で初めて11個のリングに成功したときのプライベートビデオはなかなか感動的だった。  このあとワークショップ。およそ3時間あった。これは4つのボールができることが条件みたいだったが、実に興味深いワークショップだった。見ていても若いジャグラーたちがどんどんうまくなっていくのがわかる。教え方が実にしっかりしているということなのだろう。彼を日本に呼んでワークショップさせたらいいのではないだろうか。

イグナートフ氏のワークショップ

短いブレークのあと、寝坊して遅れてきたグニェーショフの講義。いろいろ興味深い話もあったが、どこか崩れてしまっていていることが憐れだった。聞けば今日の朝食会場でシャンペーンを何度もおかわりしてすっかり酔っぱらっていたという。途中二度ほど感情的になって泣きだしたのにはびっくり。 このあとイギリスのショー・ガンジーというなかなか面白いジャグリングショーをつくっている人がビデオで自分たちのショーを紹介したあと、ワークショップ。 このあと本当は自分が話すことになっていたのだが、今日は時間がないので明日になってしまった。せっかく朝飯も食べずに練習していたのだが・・・まあ今日は二日酔いもまだ残っていたので明日の方がいいだろう。  この後、ジェローム・トマがいままで彼がつくってきた自分のビデオを見せながら解説。これがみんな面白いものだった。彼はジャグラーとしてもすごいと思うが、作品をつくるセンスに満ちあふれている感じだ。このあとワークショップ。今日参加したジャグラー君たちはずいぶんいいチャンスをもらえたのではないだろうか。

トマ氏のワークショップ

三人それぞれ違うスタイルだが、かなり中身は濃い。自分は最後まで残ってワークショップを見学。開会セレモニーが行われるマリンスキイー劇場に行くまでジェロームといろいろ話す。彼はずいぶん前に大阪のNGKで働いただけで、日本では公演してないという。彼のつくった作品がまだ上演されていなかったとはちょっと意外だった。  厳しいチェックを受けて、マリンスキイー劇場で開かれた第5回文化フォーラム開会式に出席。最初の挨拶はプーチン大統領。この人の肝入りでこの文化フォーラムははじまったという。

このあと1時間ぐらいのショー。今年がロシア映画年ということで映画にちなんだ出し物が続く。最初はエイゼンシュタイン「イワン雷帝」の有名なシーンがスクリーンで紹介されるなか、プロコフィエフの音楽がゲオルギーエフ指揮のフルオーケストラで演奏されるほか、今年のヒット作や来年公開予定の映画なども紹介された。なんでもいまロシアでは映画が産業としても成長しているらしい。観客数も増え、映画館自体も増えているという。すべてが終わりプーチンが退場するところで、意外に近いところを通りすぎてくれたのでスマホで撮影。  ホテルに戻ってから、サハのセルゲイとイタリアのサーカス研究家でプロモーターでもあるギアロアとブルガリアのエージェントのステファンと四人でホテル近くのチェコレストランでビールを軽く飲みながら談笑。ギアロアがプロデュースしたという馬150頭のショーのデモンストレーション映像を見せてもらったがこれは凄い。ホテルのロビーではまだ関係者が残って飲んでいたようだが、ここはパスさせてもらって部屋に戻る。

12月3日(土)

朝ドミニク・ジャンドゥが帰国するというので、持ってきた「アートタイムス」を進呈、掲載記事のひとつリズリーの本の書評を見て、びっくり。作者のフレッドとは一ブロックしか離れていない近所同士だという。  8時45分出発、昨日までの会場であったボリショイドラマ劇場小ホールではなく、エルミタージュ美術館内のホワイトルームに向かう。たぶん予定表にはそう書いてあって、オーガナイザーはみんなわかっていると思っているのだろうが、来てみてびっくりという感じ。今日の公演の準備をボリショイドラマ劇場のスタッフさんと二回も確認しながらやったのに、聞いていないという感じだったのだが、自分の中ではまたボリショイドラマ劇場に戻るんだよなという気持もあった。ところがロスカンパニーのイワノフ代表の挨拶、ポルーニンの野外劇についてのスライド上映が終わったあとに「ミキオ・オオシマ」と呼ばれてしまった。でもUSBとDVDを持ってきたことは救い。昨日まであれだけチェックしたyoutubeのリンクが使えないことがわかる。インターネットがないという。こんなもんである。とにかくオリガが訳してくれたテキストを読むしかない。昨日までのフランクな感じではなくかなり公式的な感じで緊張もしたし、やはり意外な展開に動揺もあったかと思うが、なんとか終えることができた。あとでわかったが最後に見せた日本のジャグリングカンパニー「頭と口」の渡邉尚君のフロアージャグリングがかなり衝撃を与えたようだ。

このあとはフリッシュと一緒にカフェで食事。黙って食事する男ではない。次々に来たお客さんや係員に話しかける。不思議なのだがこれが厭味がないからみんな乗ってくる。おかしかったのはひとりの作家さんが話しているうちに意気投合して、本までプレゼントされたこと。さらに2時半からはじまったルナチャルスキイ賞授賞式で隣合わせた人から、フリッシュよねと声をかけられ、すぐに記念撮影。たいしたもんである。  ホテルに戻り一休み。ロビーではまたグニェーショフがすっかり酩酊していた。つかまりそうになったが、フリッシュが救いの手を出してくれて、部屋で休めることに。8時からはじまるいまサンクトで話題になっているカバレットショーを見学。車でレニングラード駅までしか送ってもらえなかったので、会場までかなり歩くことになったが、いい運動になった。素晴らしい会場だったがショーはひどいものだった。休憩時間で抜け出して、パルーニンの自宅へ。無事に今日でフォーラムが終わったということで打ち上げをやっていた。インド料理をつまみながらここでもフリッシュの話にみんな腹を抱えて大笑い。今日自分の話の中で映像を見ることをとても楽しみにしていたナターシャに、USBをそのままプレゼント。これでちょっとほっとする。

パルーニン夫妻に別れを告げて、ホテルに戻る。またロビーではグニェーショフが飲んでいた。これから汽車でモスクワに帰るという。抱きつかれ、ほんとうに今回あえて良かったと言ってくれたのはうれしかった。ほんとうに俺はお前のことが好きなんだぞというから、俺も好きだよというと、そんなにでもないだろうと言い返すところは相変わらずなのだが・・・  このまま部屋に戻り、今日は二階のベッドで寝ることに。こんだけ広いからなのかもしれないが、部屋が寒い。来てからずっと続いていた喉の痛みはなくなったのだが、せきがとまらなくなっている。電話が鳴ったがもうでないでおく。そのまますぐに寝ついてしまった。

この記事を書いたひと;大島 幹雄

元㈱アフタークラウディカンパニー勤務。宮城県生まれ。早稲田大学文学部露文科卒業。海外からサーカスや道化師を呼んで、日本でプロデュースしている。石巻若宮丸漂流民の会事務局長、早稲田大学非常勤講師。デラシネ通信社を主宰、不定期刊行の雑誌『アートタイムス』を刊行。

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