エキスポサーカス・インタビュー②


◆2015年3月14日から愛知県犬山市の野外民族博物館リトルワールドで開幕した『エキスポサーカス』、4カ国から来日し、楽屋では6つの言語が飛び交うサーカスが始まりました。そんな出演者達に公演が始まる直前、幾つか質問をしてみました。

第2回:ジーマ&エンリカ(Dimitr Staubert & Enrica Staubertova)(聞き手:辻卓也)

−生まれはどちらですか? ジーマ:私はプラハの生まれです。 エンリカ:私は私たちの母がアメリカのRingling Bros. and Barnum & Bailey Circus(リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス)で働いている時に、ニューヨークで生まれました。

−あなた達のファミリーについて教えて下さい。 ジーマ:私たちはサーカスファミリーの7代目です。私の母は私たちと同じようにパーチの演技をしていました。祖父も同じパーチです。その他の家族は各世代で別の演技をしていました。遡れば、1760年代に曲芸を始めた最初の世代が生まれて綱渡りをしていました。それから約250年、7代続いています。ストリートから始まって、少しづつ成長して。高祖父がチェコでサーカスを作った最初のファミリーの1つで、曾祖父の頃にテントでサーカスを公演していました。そして私のおばあさんが1900年生まれです。

母方の家系の展覧会で展示された資料の一部(本人提供)

−では、生まれた時は、サーカスをする以外は考えられなかったわけですね? ジーマ、エンリカ:はい、そのとおりです。おばあさんの苗字がStipkaというのですが、そのファミリーの展覧会が先日ありました。Staubertという苗字は祖父の苗字です。

展覧会で展示されたStipka家の家系図(本人提供)

−Staubert家もサーカスアーティストですか? ジーマ:はい、おそらく6代目とか、そのくらい古いサーカス一家だとと思いますが、祖母のStipka家のように、ちゃんと資料が残っていないので、はっきりしたことはわかりません。Stipka家の私たちの従兄弟がアメリカのリングリング・サーカスで馬のショウをしています。Stipka家の多くが馬のショウをしていますし、結婚相手もほとんどがサーカスファミリーです。 −パーチの仕事はどのくらいやっていますか? ジーマ:わたしは20年、姉は35年、2人とも15歳の時から仕事をしています。私が仕事を初める前は母がパーチの下で、エンリカが上でした。母が小さいときはおじいさんと一緒にやっていました。

左:祖父母の代、中央:母の代、右:ジーマとエンリカ。(本人提供)

−とても力強い演技だと思うのですが、始めた頃、練習はどのくらいしてました? ジーマ:毎日2~3時間、学校が終わってから家に帰って練習していました。パーチ以外にも幾つか演技を母から習いました。ジャグリングも出来ますし、一輪車を使って高車蹴碗(一輪車に乗って片足に茶碗を乗せて、蹴り上げて頭の上に乗せる演技)もできます。エンリカは以前、空中ロープもやっていました。もし怪我をして一つの演技ができなくなってしまった時、他の演技ができるように、いろいろと教わったのです。 −現在はパーチとヘアスイングをやっていますが、演技をする上で大変なことはありますか? ジーマ:パーチと一輪車を組み合わせた演技は、私が知る限りでは他に誰もやっていないと思います。パーチで梯子に登る演技は、これも私が知る限りでは、自分たちともう一組だけだと思います。でも、もしかしたら、中国は広いですから、どこかにいるかもしれませんが…。 −ヘアスイングは痛くないのでしょうか? エンリカ:まあ、ほんの少しです。あまり仕事をしていないときは、痛いときがあります。

2004年「オリンポスサーカス」

−チェコには他にもベロセックやファルティーニ、カイザーなど歴史あるサーカスファミリーがたくさんの活動していると思うのですが、今のチェコのサーカスの状況はどのような感じでしょうか? ジーマ:チェコのサーカスは、なんと言ったら良いでしょうか、以前は、フランスやドイツ、ロシアのように、映画や演劇と同じようにアートのひとつとして、ステータスがありましたが、最近では子供向けの娯楽にみなされているところがありました。でも、また少しづつ浮上してきています。一番大きな問題は、チェコでは良いサーカスアーティストが外国で仕事をしています。アメリカとか、日本とか(笑)。 −チェコには国立サーカスはありますか? ジーマ:以前はありました。1990年までです。共産主義体制が崩壊して、国立サーカスもなくなりました。共産主義体制になる前は国立サーカスはありませんでした。ハンガリーにはまだ国立サーカスは残っています。

−いろいろな国に行ったと思いますが、印象に残っている国はありますか? ジーマ:日本、スイス、ウクライナです。 −サーカスアーティストになって、良かったと思うことはなんでしょうか? ジーマ:サーカスで過ごす人生は良いものです。なぜならとてもロマンティックな世界だからです。もちろん、ハードな仕事ではあります。例えばノルウェーで仕事をしたときは、シーズンの毎日が公演と移動の繰り返しでした。身体に痛みがあっても仕事を休むわけにはいきません。でも、いろいろな人に出会えますし、世界中に行けますし、いろいろなものを見ることができます。それは例えば、休日にツーリストのように観光地だけ見て、家に帰るのとは違います。サーカスの仕事を通じて、訪れた世界の人々が、どのように生きているのか、目の当たりにすることができます。それはとても良いことだと思います。 −エンリカはどうでしょうか? エンリカ:私も弟と同じ思いです。サーカスはとてもロマンティックな世界です。

−ショウを見に来る日本のお客さんに一言お願いします。 ジーマ:10年前にリトルーワルドで公演したときと、また少し違う演技をしています。それをお客さんに愉しんでもらいたいです。日本のお客さんはとても良いお客さんですからね。皆さんの前で公演ができることを本当に嬉しく思っています。

この記事を書いたひと;辻 卓也

株式会社アフタークラウディカンパニー勤務。サーカスプロデューサー。ロシアやウクライナ、東欧などからサーカスアーティストの招聘が比較的多い。その他、ショウの演出やフライヤーデザインなどを行うことも。長身。

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