オデッサのお笑いフェスティバル 「コメディアーダ」に参加して


◆国際クウラン・マイムフェスティバル「コメディアーダ」の審査員として参加するために、ウクライナの黒海に面した港町オデッサを訪れました。  ロシアとの戦争が続く中、ユーモアの街として、エイプルフールの4月1日を祝日として街中みんなで愚者(フール)に扮して祝う街オデッサに最も似合うフェスティバル。  「笑いで世界が一体になることが必要だ」と感じるフェスティバルでした。

この記事を書いたひと;大島 幹雄

元㈱アフタークラウディカンパニー勤務。宮城県生まれ。早稲田大学文学部露文科卒業。海外からサーカスや道化師を呼んで、日本でプロデュースしている。石巻若宮丸漂流民の会事務局長、早稲田大学非常勤講師。デラシネ通信社を主宰、不定期刊行の雑誌『アートタイムス』を刊行。

オデッサの春を彩るお笑いフェスティバル

2017年3月30日から4月2日まで開催された国際クウラン・マイムフェスティバル「コメディアーダ」の審査員として参加するために、ウクライナの黒海に面した港町オデッサを訪れました。ロシアとの戦争が続く中、ユーモアの街として、エイプルフールの4月1日を祝日として街中みんなで愚者(フール)に扮して祝う街オデッサに最も似合うフェスティバルでした。
世界各地に忍び寄る戦争の危機の中、現にウクライナはロシアと戦争状態にありますが、そんなときこそ、笑いで世界が一体になることが必要だということを痛感しました。

 

(「ユモリーナ」参加者)

Ⅰ.クラウン・マイムフェスティバル『コメディアーダ』について

このフェスティバルは、コミック劇団『マスキ』が主催しています。『マスキ』はオデッサを拠点として、ソ連時代から舞台や映画、テレビで活躍している人気コメディーグループ。1989年、1992年には姉妹都市である横浜でも公演しています。ウクライナでは誰も知らない人がいない、ウクライナを代表するグループです。マスキの代表であるユーリィ・デリーエフ(下写真)と支配人のナターリア・デリーエバは、長年の夢である自分たちの劇場「クラウンの館」を2003年にオープンして以来、この劇場を舞台に国際的なクラウンフェスティバルを開催することを夢見ていました。市当局や国の文化省と交渉を重ね、4月1日オデッサ市の最大のイベントである「ユモリーナ」と合体させるかたちで、ついに2011年最初のフェスティバル『コメディアーダ』を開催することになりました。

 

(プレジデント デリーエフ)

 

(「コメディアーダ」参加者全員集合)

 

フェスティバルは、ユモリーナの中心イベントとして市民のなかにすっかり定着することになったのですが、2015年ウクライナ東部地区でロシアとの戦争が勃発したときにすぐに中止が決定。「コメディアーダ」も、参加予定の出演者からキャンセルの申し出が相次ぎ、マスキもこの事態では開催は無理と判断し、中止しようとしました。しかしそんな噂が流れると、市民から「こんな笑えない状況だからこそ私たちは笑いたいんだ。フェスティバルはやめないで欲しい」という要望が多く寄せられるようになります。こうした声に押されてデリーエフは開催を決定します。市や国からの援助もなくなるなか、財政的にも厳しく、実施するのは本当に大変だったといいます。
そうした困難な状況を乗り越えて7回目の開催となる今回は、ウクライナの他にアメリカ・イスラエル・ハンガリー・スペイン・ポーランド・モルドワ・ベラルーシ・ルーマニアから総勢70人のアーティストが参加しました。
2015年以降はそれまで出ていたオデッサ市やウクライナ文化省から助成金もなくなりました。フェスティバルはまったくの手弁当で行われています。参加者は審査員・出演者とも旅費は自己負担になります。
フェスティバルのプロデューサー、ナターリア・デリーエバは、宿泊するホテルやレストランと交渉し、スポンサーになってもらうなど経費削減につとめる他、娘のポリーナが参加者の宿舎を移動の手配をするほか、デリーエフの娘もショーの司会をつとめるなど、まさに一家総動員でこのフェスティバルを運営しています。そんな温もりが伝わる気持ちのいい雰囲気の中で、フェスティバルは3月30日から4月2日まで開催されました。3月30日と31日にコンペティション部門のショー、マスキショー、1日と2日にガラショーが行われました。
会場には連日たくさんの市民が来場しました。4月1日には参加者全員がユモリーナのパレードに参加、中央特設会場でコンペティション部門の発表とガラショーも演じられました。


(「コメディアーダ」ポスター)

今回の受賞者は以下の通りです。

 ・グランプリ  チャバ(ハンガリー)
 ・技術賞    ウラジーミル・セメノフ(ウクライナ)・リエリィ・トードル(ルーマニア)
 ・演出賞    グッドマン・ボーイズ(イスラエル)
 ・観客賞    4マティス(ウクライナ)

 

↑グランプリ受賞者に楯を授与する著者
私は今回審査員として初参加。オデッサの姉妹都市横浜から高い交通費を自費で負担してやってきたということもあり、現地マスコミでも大きくとりあげられました。私は閉会式での挨拶で、「手作りの心のこもったフェスティバルに参加できたことをとても嬉しく思っている。暗いニュースばかりが世界を覆う現在こそ、こうしたフェスティバルが必要なことを痛感した。
ぜひ来年は日本のアーティストと一緒にまたこのフェスティバルに参加したい」とスピーチし、満場から大きな喝采を浴びました。

Ⅱ.旅の記録

*3月30日
朝9時にオデッサ空港着。2度目のオデッサ。前回来たのはちょうどゴルバチョフのペレストロイカ真っ盛りの時、1997年だった。クラウングループ「マスキ」の招待で、4月1日に行われたオデッサ最大の祭「ユモリーナ」に参加した。20年ぶりのオデッサということになる。ホテルで荷物をほどいたあと髭だけ剃って、11時出発のバスに乗る。クラウン・マイムフェスティバル『コメディアーダ』の芸術プロデューサーのウラジーミル・クリューコフと再会。彼は日本で何度も公演したミミクリーチの演出家。
そして国際サーカス村協会のプロジェクト・女性クラウン集団「五人囃子」の演出をしてくれた。3年前にサンクトペテルブルグで10年ぶりに再会しているのだが、そのときにこのフェスティバルのことを聞いて、今回参加することになった。フェスティバルには五人囃子演出のときにも来日していた奥さんのナージャと息子のヴォーバも参加していた。みんなで再会を喜ぶ。バスはマスキの劇場「ドーム・クロウナ(道化師の館)」に到着。

 

(「ドーム・クロウナ(道化師の館)」正面)

 

(「ドーム・クロウナ(道化師の館)」ロビー)

 

(「ドーム・クロウナ(道化師の館)」カフェ)
マスキらしい洒落とユーモアあふれる外観のとても素敵な劇場でした。フェスティバル参加者も次々に来場。劇場前で主催者のマスキの代表ユーリイ・デリーエフと支配人のナターリア・デリーエバ(デリーエフの義妹)から熱い歓迎を受けました。11時から参加者が集まってのオリエンテーション。ここで審査員として紹介されました。 今回は16組70人がコンペティションにエントリーしているのだそうです。19時を過ぎてからいよいよコメディアーダ初日のコンペンションが始まりました。(観覧メモ1ご参照)公演後はロビーでパーティー。ただアルコールなし。

*3月31日
12時から記者発表ということでクラウンらくしにぎやかにレッドカーペット風に入場。

 

我々審査員は壇上へ。いろんな取材が来ているようでした。審査員紹介のなかでスピーチをさせられました。横浜とオデッサの関係について触れたスピーチをしました。このあとキエフの「舞台裏から」というテレビ番組のためにインタビューを受けました。撮影はオデッサのオペラ劇場前。3時からマスキショーを見ました。(観覧メモ2)7時からコンペティション部門の2日目。
昨日以上にエキサイティングなステージになりました。(観覧メモ3)
公演後審査員は全員デリーエフが世話になっているレストランに連れて行かれ、ここでまずは受賞者を決めました。グランプリは文句なしにハンガリーのクラウンに決定。あと3つの賞を誰にするか喧々囂々の議論。それぞれ好み等ありましたが、決定の段階でナターシャが全面的に政治介入。
これがまたあまりにも露骨なのでかえって気持ちがよかったです。このフェスティバルは思いやりとハートでもっています。モルダワから来たふたりは貧しいので、お金をみんなで集めて送りましょう、しかも彼の方は癌らしい、どうしてもこのフェスに出たいからとわざわざやって来た、なにか賞をやりましょうとこんな感じでした。みんな異論なくナターシャの言う通りに受賞者が決まりました。

 

(プロデューサーのナターシャ)
*4月1日
街のあちこちに旗が立てられています。オデッサの旗だそうです。今日はオデッサの祝日「ユモリーナ」の日。(ユモリーナについて)昨日の夜行ったレストランに集合。このあたりがオデッサのお祭ユモリーナのパレードの出発地点になるのだそうです。我々審査員はパレードの終点地点オペラ劇場近くまで移動。パレードが着いたところを壇上で迎えます。パレードの先頭はオープニングカーに乗ったデリーエフとマスキのふたりのメンバー、そして特別ゲストの笑いの王スペインのレオ・バッシー。なかなか楽しいパレードでした。

 

(ユモリーナ パレード)
パレードのあとコメディアーダのメンバーの受賞発表と、デモンストレーション。このあと7時からガラショー。ほとんどのショーは昨日今日に見たものばかりでしたが、圧巻は今回のスペシャルゲストスペインのクラウンレオ・バッシーの40分以上にわたるショーでした。(観覧メモ4)
客に催眠術をかけるという設定でよくもここまでひっぱって客の心をとらえるものだと思います。

 

(壇上からパレードに手を振る)
今日はアルコールもありの打ちあげ。そのあと銘々が即興のネタを披露する会となりました。

*4月2日
14時から出演者のためのワークショップ。自分は2番目に日本のクラウンの現状について報告。映像はエノケン・由利徹・茂山千作・伊勢大神楽のチャリが意外に受けていました。由利徹が受けるのは嬉い。およそ40分の講演になったが、なかなか反応は良かったのではないかな。19時からガラショー。今日も圧巻は特別ゲストのレオ・バッシー。

 

(デリーエフとレオ・バッシー)
蜂蜜をかぶってそのあと羽毛もかぶります。最後にクラウンとは天使なんだよというところで、泣きたくなってきました。クラウンは天使、その言葉を蜂蜜だらけになって羽毛をつけて立っているレオがいうと、ほとんとうにクラウンが天使に見えてきました。公演後ロビーで打ち上げ。レオのマネージャーに興奮してクラウンは天使だったんですねというと、抱きついてきました。

【観劇ノート①】 コンペティション1日目

1. ピネツカ (ポーランド) ☆ゲスト
マリオネットをもって登場。これはとてもいい感じでした。客いじりをするのだが、ちょっときつすぎる感じがしました。彼はずいぶん前に浜松の劇場オープニングのイベントに出演したことがあると言っていました。

2.プランシェット (ウクライナ)
キエフサーカスアカデミーの女子生徒4人によるマイム。板付きで登場。照明があたると4人とも変な顔をしているのが浮かびあがります。特にテーマもなく、この顔の表情に従うような変な動きをしていました。ミミックとマイムだけを抽出したたいへんな意欲作。

 

3.ウラジミール ヴァスチェンコ (ウクライナ)
拘束服のようなものを着て登場。自分を縛っているチェーンをチェンンソーのようなもので、切っていくというネタ。火花が飛び散っていました。

4.ウラジミール セメノフ (ウクライナ)
にわとりが登場したのには驚いた。特に大変な芸をするというわけではないのですが、にわとりという全く想定外の動物と一緒のクラウニングというだけで、まず衝撃。ちなみにこのにわとりは半年一緒にやっているといいます。にわとりは現地調達で仕込めるのだそうです。最後ににわとりがおしゃぶりをして寝るところでは爆笑。自分の中ではこの日のベストでした。

 


5. フォーマティクス (ウクライナ)
サーカスアカデミー在学中の4人組。騎兵隊の銃をつかったギャグを演じる。ひとりひとりのキャラクターがはっきりしてそれは面白かったです。今回は4人組のクラウンが多かったですが、キャラクターがはっきりすると面白みが出てくるというところはあるかもしれません。

6.ヴァイタル マジック ショー (イスラエル)
デュオのコメディマジック。
傘をつかったもの。審査員のひとりビスコフ演出。舞台裏でマジックの準備をする人と演じる人というキャラ分けでそれが逆転してしまうという設定がとても面白かった。特に二人が顔半分ずつになるというネタがあったのだが、これはとても不思議だった。あとでネタを教えてもらったが、なるほどという感じ。

7.ウラジミール セメノフ (ウクライナ)
にわとりをつかったクラウンが、ここではまったく違うクラウニングを披露。カラーボールをつかったジャクグリング。スティックでいろいろな絵も描く。ただ技術というよりは道具の役割が強すぎるかもしれない。ただこのクラウンの芸風の幅はたいしたもの。

8. クラウンマイム シアター モルズ マリーポールの3人組 ☆ゲスト
女性一人に男性2人。以前このフェスで賞をとっているマリープルから来たトリオ・クラウン。女性のからみがひとつ足らないような気がする。男ふたりのキャラは面白かった。

9. セルゲイ キビコフ (ウクライナ) ☆ゲスト
酔っぱらいを演じながらビンをつかったジャグリングをする。このフェスティバルでグランプリをとったあと、パリのシルク・ドゥマンでも賞をとり、いまはパリのリドで働いているクラウンというよりはジャグラー。

10. グッドマンボーイズ (イスラエル)
これも4人組。このフェスティバルで親しくなったロシア出身のゲンナージが指導しているクラウン。衝立をつかったギャグ。古典的なクラウニング。

11. マイムアート ラボラトリー (ウクライナ)
キエフサーカスアカデミー在学の2人組マイム。正統派のマイム。面白みには欠けていた。

12.ウィザウト ワーズ (ベラルーシ)
4人組。正直一番つまらなかったです。民族衣裳を着て何かをやっているのだが…。4人のうちの2人は聾唖者とのこと。

13. グッドマンボーイズ (イスラエル)
お次はベンチをつかったギャグ。これはミミクリーチがやっていたもの。小さな男の個性がはっきりと出ているぶんこっちの方がおもしろかった。

 

14. フォーマティクス (ウクライナ)
4人組というとミミクリーチとかミカスの存在が大きすぎて、それと比べるといまひとつという気がするのだが、のびしろはあるグループという気はする。

15. クラウントリオ エキヴォキ (ウクライナ) ☆ゲスト
彼らもかつてのグランプリ受賞者。3人組。このあとモンテカルロでウクライナのクラウンとして初めて銅賞をとっている。去年の静岡の大道芸にも出演、賞をもらっている。今日のネタは、縄跳びを客にやらせるのだが、客のノリの方がよすぎて彼らの良さがいまひとつわからなかった。

 

【観覧ノート②】 コンペティション2日目
1.ピネツカ (ポーランド) ☆ゲスト
今回も客いじり。靴を探し客席にいって、客を引っ張ってきた。

2.リヴィウ トゥドル (ルーマニア)
コミック皿廻しなのだが、なんとフリスビー犬が登場。回している皿をくわえてしまうという乱入。これには大笑い。

3.ジム ウィリアムズ (アメリカ)
よぼよぼのじいさんが登場するのだが、突然音楽がなると激しく踊りだす。やむとまたじいさんになる。演技力が高く評価された。自分の好みではなかった。

4.クラウングループ O (モルダワ)
カザフのローマやイリーナと親しいというクラウンデュオ。なんでも彼の方は癌とのこと。オーソドックスなクラウニング。客を入れてのマジックネタをふたつ。

5. チャバ (ハンガリー)
出番が10分ほどだったと思うが、そのうち8分ぐらいは笑っていたのではないか。圧倒的な演技力で、場内を興奮させた。バイオリンケースをもっておどおどと登場するが、とにかく小さなことにこだわり、それを笑いに化していた。ミスタービーンのあのこだわりに近いものが感じられる。髪の毛がちょっと立っていて、それをなんとかしようとするのだが、ジェルの蓋がなかなか開かず、穴が開いてジェルが飛び出し、床に撒き散る。それに頭をこすりつけるところでは爆笑。文句無し審査員全員一致のグランプリ。見かけは若かったがあとで聞くと、50歳を越えているベテランクラウンだった。

6.ジム ウィリアムズ (アメリカ)
ふたつ目のネタ。宇宙飛行士とマクドナルドという設定なのだが、自分にはちょっとその面白さが理解できなかった。

7. モル (ウクライナ) ☆ゲスト
去年観客賞を受賞したデュオ。ほとんど印象なし。

8.フォーマティクス (ウクライナ)
昨日と同じ騎兵隊の銃をつかったギャグ。

9.セルゲイ コビコフ (ウクライナ)
昨日と同じ酔っぱらいジャグリング

10.ウィザウトワーズ (ベラルーシ)
今日はふたりでのマイム。

11.プランシェット (ウクライナ)
今日は6人で演じる。同じようにまずおかしな顔をして登場。その顔にあわせてエキセントリックな動きをしていく。素顔はとてもかわいい女性ばかりなのだが、こうした表情をつくり笑いをとっていくというのはたいしたものである。

12.ボリス ボリシェンコ (ウクライナ) ☆ゲスト
2013年のグランプリ受賞者。当社で豊島園に呼んだことがある。そのときはチューインガムのマイムを演じた。そのあとUSJで何年か働いていた。今日は人形ぶりのマイムを演じる。これが素晴らしかった。こういう美しい動きを見ると、マイムの力を感じる。

13.コミック デュオ ジュリエッタ&コー (ウクライナ)
見るからに笑わせてくれるような女性クラウンのアグレッシブな客へのせまり方が大好き。さんざん客席で男性客をあおっておいて、最後に登場してくるやさ男が実は相方だったという設定だが、相方がちょっとおとなしすぎるのか、この設定をいかしきれていない気がした。

14.ナザル スクラダニー (ウクライナ)
お盆をつかったジャグリング。あまり笑いの要素は少なかったように思える。

15.マックス ゴルディエンコ (ウクライナ)
椅子を使ったバランスアクロバットを、ドラマ仕立てにして演じた。

16.コミック デュオ ジュリエッタ&コー (ウクライナ)
今度はマジックショー。うさぎのぬいぐるみを取り出すのだが、これがばかでかいというだけで笑ってしまった。

17.クラウントリオ エキヴォキ
ホワイトクラウンひとりに、オーギュストが二人というこの組み合わせがまず面白い。彼らはガラショーとかでも演じていたのでたぶん5つぐらいのネタをやっていたが、最初に見た縄跳びのがちょっとわかりづらかったぐらいで、実に面白い。動きがあるし、ふたりのオーギュストたちがかなりユニークなキャラなので、それだけでも笑える。紙飛行機のネタ。

【観覧ノート③】「マスキ・クープ」
クープとは立方体のこと。舞台の上には大きな立方体がいくつか置かれてあり、これがスクリーンになって映像が映し出されたり、衝立になったりして、可変的な装置となっていた。オープニング、客席からトランクを持った役者さんが登場。
客席の椅子の背もたれを渡り歩き、客席を盛り上げて舞台にあがる。
ここでスクリーンに映像が映し出されて、映像と生の役者さんが入れ替わったりとなかなか凝った演出。
20年前に見たときと比べて、ずいぶん垢抜けた感じがする。全体の内容は20年前と同じように、ストーリー等はなく小さなネタを次々に見せていくというヴァラエティ仕立て。20年前に観たたときはひとつひとつのネタにムラがあり、日本人には理解できないものも多かった。それに小さなネタの並べ方が並列的というか奥行きがなく、メリハリがない感じがしたが、この作品では映像を挟んだりしたこともあり、役者さんたちが年季を重ねるなか、うまくなったことが大きいと思うが、メリハリが出ており作品として完成度が高いものになっていた。
何よりも感心したのは60歳に届かんという役者さんたちが、相変わらずバカなことを真剣にやっていることである。看板役者のひとりのボリス君は、ネタのために全裸になったりもしている。主演のデリーエフも大熱演。タップなんか見ていると、「大丈夫か、息切れしちゃうんじゃないか」と思うぐらいの奮闘ぶり。

涙が出そうになったのはマスキの代表的ギャグ「マナマナ」。これはひとりが「マナマナ」と言うと、相方が「トゥットゥットトゥート」と合いの手をいれるというギャグ。ふたりの微妙な間のとり方がナンセンスなおかしさをつくりだす。
おそらくウクライナの人たちは誰でも知っているギャグのひとつである。
最初に1989年に撮影されたこの番組の映像がスクリーンに流れる。そのあと同じ役者さんが、かなり年をとりボケが入ったような感じで登場する。
そしてこの「マナマナ」をやろうとするのだが、この「マナマナ」というのが出てこないというところから始まる。
ここで色々とやりながら、客席からも「マナマナ」と声がかかったりして、やっと始まる。そして相方が出てきて掛け合いが始まるのだが、この間が抜群によくて、面白かった。この他にも前にやったギャグ「瀕死の白鳥」とか池で石を投げるとかというのも数段面白くなっていた。

 

あとでデリーエフに年をとってみんな良くなったという話しをしたら、「クラウンニングはワインのようなもの。年季が入ると美味しくなるんだよ」とのことだった。
クラウンニングにおける持続ということの大事さを改めて教えてもらったような気がする。ほとんど期待せずに見たのだが、ちょっと感動さえしてしまい、クラウンものはしばらくやっていないが、「マスキ」を呼ぶというのもひとつありかなと思ったほどいい公演でめぐり会った。

【観覧ノート④】レオ・バッシー

今回の「コメディアーダ」の特別ゲストのスペインのクラウンレオ・バッシーは、2回のガラショーに出演し、それぞれ違うネタを披露していました。
クラウン芸の真髄にふれたような感動をもらいました。
彼はディミトリーのように楽器ができたり、アクロバットやジャグリングができるわけではありません。
いでたちは完璧にホワイトクラウンなのですが、やっていることは決して優雅な立ち振る舞いを見せるわけではなく、むしろ泥臭いのです。そしてとにかくしゃべります。彼の魅力をどれだけ伝えられるかわかりませんが、感想を書いてみたいと思います。
初日のガラで演じたのが、催眠術とでも名付けられるような作品。
客席から登場してきたレオは、英語で「これからお見せするのは、今日ここに集まった500人のお客さんのうち499人がとても楽しめて大笑いできるのだが、ひとりはそのために犠牲になる。
どうなるかというと、いま自分が手に持っている皿の上にあるシェービングクリームを自分の顔にぶっつけるのだ」という口上を述べるところから始めます。
それから男女ふたりの客を選びました。
英語ができるふたりの若者、男性と女性が舞台にあげられました。ここでレオは、自分は6代にわたるサーカスファミリーのクラウンで何でもできるのだが、とりわけ催眠術が得意だといいます。まずは女性を催眠術にかけます。女性は、何かの合図で腕を組むと離せなくなってしまいます。
これを何度か繰り返し、そして術を解いたあと、いよいよ男性に催眠術をかけ、シェービングクリームを持たせました。そして「ワン、ツゥ、スリー、フォー、ファイブ」で自分の顔にこのクリームをぶつけるように術をかけたと説明。そしていよいよカウントが始まるのですが、「ファイブ」という前に彼は自分の顔にクリームをぶっつけ、真っ白になってしまうのです。これにはきっとこのクリームはレオに投げつけられるのだろうと思っていた観客のほとんどの期待を裏切られ、歓声もあがりましたが、この男性がちょっと可哀相という感じの声もあがっていました。
男性を客席に戻した後、レオは「いまのふたりは、サクラでしたよ」と暴露しました。この処し方が見事で、そして気づいたらこのギャグは40分近く演じられていたではありませんか。
これだけ長い時間、舞台に熱中させてしまったこのレオのクラウニングはまさに見事でした。
2日目のガラでは、有名らしい蜂蜜のギャグを演じていました。
これは最初、白いクラウンの衣裳を着て登場し、舞台で自分のクラウンの歴史のようなものを映像で見せながら、その間にスーツ姿になります。
そして彼はおそらく1リットル以上はあると思われる蜂蜜を頭から自分の体にかけ始めるのです。
そしてクラウニングはスイートなもの、人を甘い気持ちにさせるもの、と言った後、今度は鳥の白い羽根をもってこさせ、それをまた頭から散らし始めます。
そして、「クラウンとはエンジェル(天使)なんだよ」というのです。この、「エンジェルなんだよ」というところで、涙が出そうになりました。
人をスイートな気持ちにさせるために自ら蜂蜜をかぶるというその行為自体が崇高なものに見えてきましたし、それが天使ということであれば、それもまた納得できるものでした。自らが愚を演じ、人を楽しませる。
それが道化師の原点ではないかということ、そんなことを自ら演じていたように思えました。

ユモリーナについて


4月1日オデッサ市は笑いに包まれます。
この日、オデッサだけは祝日、4月1日エイプルフール、冗談を自由にいえるこの日を祝うのです。街の中心で、おしゃれなショップやレストランが立ち並ぶデリバス通りを起点に、あの有名なポチョムキンの階段がある海岸通りまでを、銘々工夫をこらした仮装をした集団がパレードします。そして終点の美術館前には特設ステージがつくられ、ここで深夜までさまざまなコンサートやショーが演じられます。

 

(ユモリーナを見に来た観客たち)
まさにオデッサの春はこの日から始まるといっていいでしょう。このお祭をどれだけオデッサの人たちは待ち望んでいたことか。今年は3年ぶりに開催されることになったのだから。2015年に勃発したウクライナ東部でのロシア軍との戦闘のため、ユモリーナは2年間中断されていました。

ユモリーナは必ず復活する、それをずっと市民は信じていました。それはユモリーナの歴史をふりかえると、わかるかもしれません。ユモリーナが始まったのは、1973年のことです。始まるきっかけとなったのは前年のある出来事でした。オデッサのユーモア倶楽部のひとつがソ連邦のなかで最優秀賞をとりました。
その直後、なぜかソ連文化省はこの「陽気なコメディ倶楽部」を閉鎖することにし、連邦内でのユーモアに蓋をすることを決定します。
もしこれが問題にならなければ、我が愛するオデッサはオデッサでなくなるということで、この年の秋「陽気なコメディ倶楽部」のメンバーが、これがなくなったらどうやって生きるんだ、それに代わるオデッサの笑いとユーモアのフェステバルをやろうと決議します。
ユモリーナという言葉はこのときのメンバーのひとりが思いつき、このシンボルマーク(陽気な船員)もメンバーがデザインしました。1973年4月1日の日曜日の朝に、それぞれが扮装したり、プラカードをつくったりして街に集まりパレードをしました。ユモリーナはこれから1978年まで5回行われましたが、1978年に禁止されることになります。ただオデッサ大学のキャンパスの中ではいろいろカモフラージュさながら続けられていました。正式にまた復活するのはゴルバチョフのペレストロイカの時代になってからです。
実際このときからこの祭典はさらに大きくなり、市当局も全面的に関わっていくフェスティバルとなっていきます。

この記事を書いたひと;大島 幹雄

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