エチオピアのサーカス


◆2012年に続き、2回目となったエチオピアからのサーカス・チームの招聘。(公演場所;リトルワールド / 愛知県犬山市)今回の招聘にあたっての裏話や、そもそもなぜエチオピアでサーカスが盛んになったのか、ということについて書きました。

この記事を書いたひと;大野 洋子

㈱アフタークラウディカンパニー勤務。サーカスプロモーター。ヨーロッパ、アメリカ、南米、アフリカなど様々なサーカスや、他のパフォーミング・アーツのアーティストらを招聘している。海外の人にはよくオノ・ヨーコと勘違いされている。動物好き。

エチオピア(正式名称はエチオピア連邦民主共和国)は、アフリカ東部に位置しており、「アフリカの角」とも呼ばれるように、東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア(1991年にエチオピアから独立)、北東をジブチに囲まれた内陸国です。アフリカ最古の独立国であり、現存する世界最古の独立国の一つでもあります。公用語は、アムハラ語ですが、英語を第二外国語として教育に取り入れているので、サーカス・アーティスト達も、得意不得意はあっても、皆英語ができます。

弊社では、2012年と2019年に、エチオピアから、サーカス・チームを招聘しました。公演場所は、リトルワールド(愛知県犬山市)です。リトルワールドには、世界各国のサーカスを、招聘させていただいています。

現在のエチオピアの首相は、アビー・アハメド氏。政情不安が続いた後の2018年4月に首相就任。以来、過去の首相たちによる強権的な支配を終わらせたと称賛されてきた、改革派首相です。そのアビー氏の政権下である、2019年6月23日にクーデター未遂事件が起こり、陸軍参謀総長を始めとする3名が射殺され、エチオピア国内はインターネットが遮断されてしまいました。この時、まさに私はエチオピアと連絡を毎日取っているような状況でしたが、突然連絡がこなくなり、不安に苛まれながらネット検索をしたところ、このクーデター未遂事件を知りました。エチオピア…やはり、スムーズには行きません。

そして、フランスに当時いた、リーダーの婚約者から、突然電話があり、「私の国でクーデターが起きて、3人殺されてしまったの」

不安でいっぱいだった私は、サーカスのメンバーが3人、殺されてしまったと大きな勘違いをしてしまい、大パニック!すぐに、勘違いだと分かりましたが、心臓が口から飛び出そうになるとは、ああいうことを言うのだなと実感。このネット遮断は、半月ぐらい続きましたが、その後は元に戻りました。ただ、アディス・アベバ市内は、厳戒体制もあり、なんとも言えない雰囲気に包まれていたようです。

今回招聘したチームは、アフリカン・ドリーム・サーカスというチームで、2004年に、イェネネ・テスフェイによって設立されました。

彼は、工場の片隅で、サーカス技を練習している年上の人たちを見かけたことがきっかけで、自分も練習を始めたのだそうです。そして、国交のある中華人民共和国の中国河北省の呉橋国際サーカス学校に、サーカス留学を果たし帰国。エチオピアの文化のひとつとしてサーカスを根付かせようと、現役を退いてからは、プロデュース業と、若いアーティストの育成に尽力しています。

なぜ、エチオピアでサーカスが盛んになったのでしょうか。

そもそも、エチオピアのサーカスは、フレンチ・カナディアンのマーク・ル・シャンスという人によって、形作られました。彼は、アンディ・ゴールドマンというアメリカ人で、エチオピアのユダヤ人コミュニティの為に尽くしている人と一緒に、サーカスをアディス・アベバで教え始めました。ストリート・チルドレンを始めとする、エチオピアの子供たちに、自立の道を促すためです。彼は、ユニセフや、赤十字国際委員会、シルク・ドゥ・ソレイユなどから、道具や経済的な支援を受けていました。

生徒たちは、サーカス技を学ぶことによって、創造力や表現力も学びました。そして彼は、『サーカス・エチオピア』を1991年に設立。後に、このサーカス・エチオピアは、一世を風靡し、世界各地のフェスティバルなどで、活躍しました。ショーの演出は、立ち上げ当初から関わっていた、エチオピア人がしていたようです。このサーカス・エチオピアの成功は、地方都市に住む若者たちに影響を与え、様々なサーカスグループが、立ち上がりました。20世紀最後の10年間には、国全体にサーカスグループが急速に増え、エチオピアのサーカスは、最盛期を迎えます。残念ながら、『サーカス・エチオピア』で活躍したアーティストたちは、海外で活動するようになってしまいましたが、現在でもエチオピアでは、小さいものも入れると、100以上のサーカス学校やグループがあるだろうとのことです。正確なところが把握できないため、イェネネ・テスフェイたちは、サーカス協会を設立しようと考えています。

イェネネ・テスフェイは、アフリカン・ドリーム・サーカスを立ち上げた理由を、こう語ります。「才能のある子供たちの能力を伸ばし、サーカスを通じて、国や家族に貢献することです。それはつまり、エチオピア人として、エチオピアの文化を発展させることにつながるのです。“Circus change your life” – サーカスが、人生を変えるのです。」

この記事を書いた人;大野 洋子

㈱アフタークラウディカンパニー勤務。サーカスプロモーター。ヨーロッパ、アメリカ、南米、アフリカなど様々なサーカスや、他のパフォーミング・アーツのアーティストらを招聘している。海外の人にはよくオノ・ヨーコと勘違いされている。動物好き。

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